Philip Maffetone D.C.

直接、お目に掛かったことはないのですが
心の師匠でもあるDr.フィリップ マフェトン
ここに紹介したいと思います。

・1977年、米国ナショナルカイロプラクティック大学(現NUHS)卒。
・1995年までICAK(国際アプライド・キネシオロジー協会)会長。
・国際的なスポーツ選手を数多くアドバイスする。
・1994年、米国トライアスロン誌から「コーチ・オブ・ザ・イヤー」に選ばれる。
・現在、MAFグループ(www.philsbar.com)会長兼CEO。
・「マフェトン理論」で強くなる!「マフェトンのスポーツ代替医療」など著書多数。

約30年前、ある意味今よりトライアスロンが熱気ムンムンとしていた頃
そのトレーニング方法や新しい機材の情報は
トライアスロンJAPAN(2008年末廃刊)」という
国内唯一の専門月刊誌に頼らざるをえませんでした。

そんな頃の米国のスーパースター(あくまでもトライアスロンの)
マイク・ピグ、マーク・アレン、ウェンディ・イングラハムらを
チャンピオンへと導いたのがDr.マフェトン
「競技成績がよく、鍛えられているはずの選手が、なぜ健康を損なってしまうのか?」
という疑問から多くのアスリートの協力を得て、
臨床実験と様々な文献資料を基に「健康と競技の向上を両立させる」方法を研究
マフェトン理論」として確立
それが「トライアスロンJAPAN」誌で大きく取り上げられたのでした。

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©Getty Images

何せ、トライアスロンというスポーツが生まれたのが1978
日本で初めてのトライアスロン大会が1981(皆生)
院長イマイが走り出したのが1990
そして「マフェトン理論」が日本へ紹介されたのが1995あたりでしょうか。
当時は確率されたトレーニング理論もなく
元ランナーや元サイクリストが試行錯誤
自転車屋が偉そうにしていた時代
そりゃもうトライアスロンが面白くなってきた迷える子羊は
海外からの最新情報に飛びつきました。

その中核であるエアロビックトレーニング(有酸素運動)実践のため
当時から高価だったポラール社の心拍計を購入
(この頃は確かポーラー社と呼んでたかな、性能も今一だった)
心拍数を管理するトレーニングを取り入れたのです。

故障を防ぎながら心肺機能を高めてゆくローインパクトなトレーニング
地味ながらもなるほどと思わせる考え方。
佐々木功氏著「ゆっくり走れば速くなる」(1984)なんかも
既刊としてあったのですが
心拍数の管理という具体的な方法の提示とチャンピオン育成の実績から
マフェトン理論」に惚れ込み
これを根幹としたトレーニングを続けてきたのです。

その数年後、人生の転機が訪れたとき
数ある選択肢の中からカイロプラクティックという道を選び
師の後を追いかけることとなったのでした。

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